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help RSS 通信教育の歴史(6)明治時代の教育制度

<<   作成日時 : 2007/09/27 17:48   >>

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日本の通信教育の歴史の中で、“通信教育ビジネスの原点”といえるのは明治初期に登場した大学講義録だ。その大学講義録とは何かの前に、まず、その誕生の背景となる明治時代の教育制度について、ざっとおさらいをしてみようと思う。

<幕末から明治へ>

明治時代は、1868年から始まるが、幕末、大政奉還、明治時代…。新政府は誕生したものの、最初の数年は、政治がどうのこうのというレベルではなく、とにかく国の仕組み作りがもっぱらの仕事であり、欧米を手本として近代国家を目指した天地創造の時代だった。

幕末からの戦争(戊辰戦争)がようやく終わったのが明治2年。ついでに、戊辰戦争の年代暗記は、「もう鳥羽無用(1868)、五稜郭へと人は向く(1869)」

あらためて年代的に、江戸から明治への移行期間を見ていくと、
明治2年(1869) 版籍奉還
明治4年(1871) 廃藩置県
と、“藩”制がなくなるまでに2年もかかり、西南戦争(1877年:いやななみだの薩摩兵)で、なにはともあれ明治が形となる。

<欧米に学んだ教育制度>

明治時代の初期は、江戸時代から西洋型の近代国家への移行期間で、とにかく欧米のあらゆる仕組みや制度の導入が行われた。文明開化を合い言葉に、海外調査がスタートしたのは明治4年(1871)。まず、岩倉具視を特命全権大使とした使節団が、欧米の様々な制度を調査研究する目的で、明治4年11月から約2年、米欧12ヶ国を歴訪した。

<文部省の誕生と教育制度の導入>

文部省は教育制度づくりの要となる機関として、使節団の歴訪に先立って明治4年に設立された。「文部省」の名前の由来は奈良時代後期まで存在した式部省にある。式部省は律令制における八省の一つで、役人の人事や養成機関である大学寮なども統括していた機関だが、後に、当時の中国、唐の名称を真似て文部省(ぶんぶしょう)と改称された。

明治政府は、都道府県に対し小学校教育を奨励したが、実際には、徳川時代末期の制度がそのまま続いており、武士の子弟は藩校や私塾で学び、庶民の子弟は寺子屋で学んでいた。

学制が発布されたのは(明治5年)1872年。それは、フランスの教育制度をそのままとり入れたものだった。学制の最初の計画では、大学校8、中学校256、小学校5万3760校を設立するとのことだったが、日本の国情に合わず、授業料も高いなど、計画はうまく進まなかった。

そのため、岩倉使節団の一員だった田中不二麻呂は、欧米の教育制度を調査研究し、明治6年にアメリカから招かれたデビット・モルレー (David Murray)とともに、教育制度の基礎を作った。日本の教育制度は、欧米を手本に導入が検討されることとなった。
資料は以下。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000989961/

<日本における大学の誕生>

文部省は、欧米を参考に大学制度を整え始めていった。ちなみに、大学制度は明治から大正にかけてかなりの変遷がある。その様子は、文部科学省の「学制100年史」に詳しい。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_185.html

●大学設立に向けての動き
明治2年には、昌平坂学問所が「大学校」となり、その後、最高教育機関を大学とするとのことで「大学」が誕生した。明治3年頃には、ヨーロッパの大学制度に基づく、大学制度を導入しようという動きが始まった。

東京では、開成所・医学所の後身である南校・東校(一時は大学南校・大学東校とも称した。)が文部省直轄の高等教育機関として存在し、将来高度の専門教育機関となるべく整備の緒についていた。

●大学設立の課程
大学内での、和漢両学派の対立、さらに和漢両学派と洋学派の対立によって頓挫し、そのまま大学本校は閉鎖され、南校(旧開成)と東校(旧医学校)という分校だけの状態になる。大学規則や教育令等で予定している最高学府としての大学は、設立されないままとなって年月が過ぎてった。 大学が設立されたのは、それから16年後。明治19年(1866)に東京帝国大学が設立され、ここにおいて、日本に初めての大学が誕生した。

●私立大学の誕生
私塾は法的には大学ではなかったのだが、大正7年(1918)は、帝国大学を含む全大学に対する基本法規として大学令が制定され、ここで、ようやく私立大学として認められたのである。

<資料>

1868(慶応4) 年 維新政府、旧幕府の学問所を昌平学校と改称、開成学校の設置
        (明治元)年 皇学所、漢学所の設置
1869 (明治2)年 小学校設立の奨励
1870 (明治3)年 「大学規則」「中小学規則」公布
1871 (明治4)年 文部省の設立(学校制度の監督、教科書類の編纂、教則の編成)
1872 (明治5)年 「学制」の制定。事前に、師範学校設立、教員養成を開始
1877 (明治10)年 東京大学(官立大学)
1879 (明治12)年 「教育令」公布(「学制」の廃止・自由教育令)
1880 (明治13)年 「教育令」の改正
1885 (明治18)年 「教育令」の再改正。森有礼、初代文部大臣に就任
1886 (明治19)年 「帝国大学令」「小学校令」「中学校令」「師範学校令」公布
          「教科用図書検定条例」(教科書検定制度)
1890 (明治23)年 「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)発布
1893 (明治26)年 祝日・大祭日儀式規定(天皇写真、国歌等の問題)
1894 (明治27)年 「高等学校令」公布
1899 (明治32)年 「私立学校令」公布
1903 (明治36)年 国定教科書制度の成立 

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